2006年 05月 08日
『い』 いつでも・どこでも・だれとでも
5月8日になりました。
ここに、このブログの開設を宣言いたします。
ということで、ふつうはこのあたりで自己紹介なり、プロフィール公開なりを
するところなのだろう。
申し訳ないけれど、今はするつもりがありません。
年齢・性別・そのほかのことは、おいおいわかっていただけると思う。
自己紹介に代えて、ブログタイトルの由来をひとつ。
このタイトルと、HNをみて、某カメラマン関係と思われた方が、もし、いたら。
申し訳無いが、何の関係もありません。強いていえば、唯の一ファン。
ただ、彼の本の題名に使われたこの言葉が、いつも頭の中にある。
『いつでも・どこでも・だれとでも・』
わたしには永遠に不可能なテーマとして。
たぶん、このコトバの元は、
「いつでも・どこでも・だれにでも」
これはカトリック教会の“カトリック”の由来とされるギリシャ語の“カトリーカ”の意
・・・『普遍的』からきているらしい。
『普遍的』というコトバもわたしにはとても遠いもののひとつ。
あてはまらないことが多すぎる。
それでも
ututuに生きていくために。
↓哲学してるつもりはまったく無いのですが、”コトバを捕らえるために”クリックお願いします。
ここに、このブログの開設を宣言いたします。
ということで、ふつうはこのあたりで自己紹介なり、プロフィール公開なりを
するところなのだろう。
申し訳ないけれど、今はするつもりがありません。
年齢・性別・そのほかのことは、おいおいわかっていただけると思う。
自己紹介に代えて、ブログタイトルの由来をひとつ。
このタイトルと、HNをみて、某カメラマン関係と思われた方が、もし、いたら。
申し訳無いが、何の関係もありません。強いていえば、唯の一ファン。
ただ、彼の本の題名に使われたこの言葉が、いつも頭の中にある。
『いつでも・どこでも・だれとでも・』
わたしには永遠に不可能なテーマとして。
たぶん、このコトバの元は、
「いつでも・どこでも・だれにでも」
これはカトリック教会の“カトリック”の由来とされるギリシャ語の“カトリーカ”の意
・・・『普遍的』からきているらしい。
『普遍的』というコトバもわたしにはとても遠いもののひとつ。
あてはまらないことが多すぎる。
それでも
ututuに生きていくために。
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by fusyou-kumahachi | 2006-05-08 00:59 | ututu