2006年 05月 09日
『え』 縁 えにし
わたしは基本的に物事にこだわる性質である。
こだわると言うより、執着するといったほうが正しいかもしれない。
その傾向は人にも、物事にも、物にも
ありとあらゆるものに向けられる。
自分が執着してしまう人に受け入れられない
執着してしまう物事がうまく行かない
執着している物が手に入らない
それに自分が耐えられなくなり、しばしば逃避行動として、妄想の世界に入ってしまう。
yumeの中でいくら妄想を働かせていてもututuでは、なにも変わらない。
それは当たり前のこと。
自分をututuにひきもどすための呪文としてわたしは唱える。
縁があればきっとわたしの手許に来る
縁がなければそれまでのこと。
くりかえし、くりかえし、もう何年も自分に言い聞かせてきた結果、かなり有効な呪文になりつつある。
現実から逃避するための呪文ではない。
自分をututuに繋ぎ止めるための呪文。
手に入れるために何もしないわけではない。
できうる限りの手は尽くす。
それでも
どうにもならないututuと折り合いをつけつつ
将来への希望も失わないよう
コトバがわたしを正気のままに
yumeとututuのハザマから引き戻す。
↓哲学してるつもりはまったく無いのですが、”コトバを捕らえるために”クリックお願いします。
こだわると言うより、執着するといったほうが正しいかもしれない。
その傾向は人にも、物事にも、物にも
ありとあらゆるものに向けられる。
自分が執着してしまう人に受け入れられない
執着してしまう物事がうまく行かない
執着している物が手に入らない
それに自分が耐えられなくなり、しばしば逃避行動として、妄想の世界に入ってしまう。
yumeの中でいくら妄想を働かせていてもututuでは、なにも変わらない。
それは当たり前のこと。
自分をututuにひきもどすための呪文としてわたしは唱える。
縁があればきっとわたしの手許に来る
縁がなければそれまでのこと。
くりかえし、くりかえし、もう何年も自分に言い聞かせてきた結果、かなり有効な呪文になりつつある。
現実から逃避するための呪文ではない。
自分をututuに繋ぎ止めるための呪文。
手に入れるために何もしないわけではない。
できうる限りの手は尽くす。
それでも
どうにもならないututuと折り合いをつけつつ
将来への希望も失わないよう
コトバがわたしを正気のままに
yumeとututuのハザマから引き戻す。
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by fusyou-kumahachi | 2006-05-09 00:26 | yume