『き』 嫌い きらい キライ

わたしは、このコトバを口にするときかなりの気を使う。

嫌い

断定的な否定。

モノに対しても
ヒトに対しても

≪嫌い≫と言った時点でその存在を否定してしまうような気がする。

普段はたいていあいまいな表現を使って済ませる。

「ちょっと苦手だから」
「あまり気が合わない」
「わたしには向いていないようで」

あいまいな表現を使うことで周りとの摩擦を少なくするとともに
自身の心中の負担もあいまいなものにしてしまおうという魂胆である。

嫌うという感情を保つことにわたしはかなりのエネルギーを必要とする。
≪嫌い≫と言うコトバひとつでそのものを切り捨ててしまうことがわたしにはできない。

嫌いなモノ・嫌いなヒトと断定してしまった時点で≪嫌い≫なことに拘ってしまう。
否定的な感情に拘る事は辛いことだ。
だからコトバ自体をあいまいなものにして、拘りさえももあいまいなものにしてしまう。


自身の中の≪嫌い≫の処理はこうして済ませることにしても、厄介なのは外から向けられる
≪嫌い≫と言うコトバである。

貴方にはもうお分かりだと思うが、わたしは人から好かれることより嫌われることのほうが多い。

もちろんわたしもヒトを嫌う。

わたしの嫌いなヒトから嫌われても、お互い様で済ませることができる。
自分が嫌っているのに、相手からは好かれようと思うのは無理な注文だと思う。
「きらいでけっこう すかれちゃこまる」というやつである。(ガキである)
それでもお互いに表面上は何事も無いようにうわべを取り繕う分別ぐらいは持ち合わせている。

わたしが好意を持っているヒトから嫌われていると感じたとき、まずはあきらめることから始める。
「縁がなかった」
と言うコトバで折り合いをつける。
そこで付き合いが終わる相手ならばそれでいい。
そこから先、ある程度の付き合いが予想される相手の場合ちょっとつらい。

「嫌い」に拘る以上に「好き」にも拘るからだ。
嫌いという感情はあいまいにすることができるが、好きと言う感情は募るばかりである。
これは恋愛と同じで片恋のときのほうが思いは募る。

そこで頭の中が妄想モードに突入してしまうのだが、困るのは時々頭の中身がもれだしてしまうことである。

予防策として「きらいだ」と口に出して意識のすり替えを試みる。
もちろんひとりの時間に限ってのことだが。

こんどはそれがもれだしてしまう。
夜道を歩きながら「きらいだ」と口に出している自身に気付き
辺りを見回すときの情けなさ。
回りに聞かれたら、かなりの不審者だと思われるだろう。

・・・今回自身の恥をかなりさらしてしまったような気がする。

恥かきついでにここで伝えよう。

わたしに嫌われていると思っている貴方へ

           実は貴方は愛されている


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by fusyou-kumahachi | 2006-05-10 12:53 | ututu

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