『わ』 『を』 『ん』  和音 吾音 我音 

音は波

ひとつの波が心地よく ヒトのココロにたどり着くとき
そこにはやさしいメロディが流れる

波が繰り返し揺らぐそのとき
もうひとつの波がそっとかさなる

かさなった波が大きくうねり 
キレイに繰り返されるとき
ココロの中のメロディは よりいっそうやさしく響き
ヒトはそれを 歓びと聴く


ド・ミ・ソ
ド・ファ・ラ
幼い頃にピアノで弾いた和音

キレイにかさなるオトの波
ココロに流れるやさしいメロディは
かさなる和音で より美しく飾られて
わたしの歓びも かさなりふえる



わたしのココロの中にも オトがある
ココロの波が 奏でるオト

嬉しいときには ウレシイ波
哀しいときには カナシミの波
淋しいときには サビシイ波
怒りの時には ハゲシイ波

ココロに流れるオトの波
常に変化を繰り返す
わたしのココロの中のオト
わたしのオト 我音

貴方のココロのなかにも きっと
オトの波が打ち寄せる
それも常に変化する
貴方のオト 吾音


わたしのオトと 貴方のオトが 
キレイにかさなり 響きあうとき
わたしと貴方は 和音となって 
しあわせの調べを ココロに奏でる

わたしのオトと貴方のオトが 
キレイにかさなりあえないときは
波は 不協和音となり 
ココロに不快な調べを残す



吾音と我音がかさなって きれいな和音が響くこと
ヒトとヒトとが 奏であう
やさしく 美しく 響く メロディ

不協和音を 求めるヒトは
ココロにきっと哀しみを持つ
哀しみのオトもかさなることで
きれいな和音になるときもある

きれいな和音が 響きあい
それがututuに 満ちるとき
わたしはそこに yumeを見る

幸福という 確かな yume
和音が奏でる しあわせという 確かな 調べ



↓哲学してるつもりはあまり無いのですが、”コトバを捕らえるために”クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学ブログへ
[PR]

by fusyou-kumahachi | 2006-06-19 04:24 | yume

<< vanishing point...    『ろ』 隴を得て蜀を望む  ロ... >>