sensou     戦争

戦争が終わって 僕等は生まれた
戦争を知らずに 僕等は育った


わたしは確かに第二次世界大戦を知らない
家にある祖父の写真は 海軍の兵隊さん
その写真を嫁入り道具に忍ばせてきた母でさえ 戦争を知らない

わたしは年老いた祖父を知っている
祖父を静かに見送ることさえ出来た
それは大切な シアワセの記憶

わたしは戦争が終わって生まれた
わたしは戦争を知らずに育った
それは第二次世界大戦に限ったこと

戦争はわたしが生まれてからも あちらこちらで起きている
きっとわたしが生まれたその日にも
世界のどこかで 争いで人が死んでいた

戦い争う事が戦争ならば
テロと戦争のどこが違うのだろう
争いで人が死に 悲しみが満ちる事に違いはない
そこで巻き込まれて亡くなったのは
わたしたちの 大切なヒトタチ

戦争が終わって生まれた
戦争を知らずに育った

そんなコトバで戦争を知らないと自分の事を語りたくない
知らない事はない
今目の前でも争いは起こっている
自分のこととして捉えていないだけ

昨日停戦が発効されたひとつの戦い
わたしには何の関係もない戦い
それでもすぐ近くにはUNDOFとして 
たくさんの日本人が駐留している
彼らが戦いに巻き込まれなかったのはただの幸運
いつ戦禍が飛び火してもおかしくはなかった

彼らが死んだかもしれない
彼らがヒトを殺したかもしれない

其処にいるのは 貴方の大切なヒト
其処にいるのは わたしの大切なヒト

決して無関係ではない戦い
当事者ではないと 知らん振りをしている間に
大切なヒトを失ってしまうかもしれない
そのときになって気が付いても遅い

将来 戦争がはじまっても
わたしは戦いにゆくだろうか

わたしが年老いていても
大切な甥っ子は 駆り出されてしまうだろう
まだ見ぬわたしの子供さえ 取り上げられてしまうかもしれない

だからせめてわたしは知らなければならない
今 起こっている戦いを
そしてせめて学びたい
戦わないで暮らす すべを

何も出来ないかもしれない
何かが出来るかもしれない

知らなければ はじまらない
知らなければ わからない

今日聞いた蝉の声
オーシーツクツク オーシーツクツク
モウイイヨ モウイイヨ・・・・・・・

きっと戦いが終わった日にも同じように啼いていただろう
オーシーツクツク オーシーツクツク
モウイイヨ モウイイヨ・・・・・・・

同じ夏は 幾度となく繰り返される
それはわたしたちのシアワセ

同じ過ちだけは 繰り返さないよう
わたしたちの シアワセのために



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終戦の日によせて…
まだ、何も知らないでいるわたしが書いていいのかとかなり躊躇しました。実際にわたしは何も知らないから。
それでもやはり今日書いておきたいと思いました。今日の気持ちを忘れないために…
いつもと雰囲気が違うので困惑されている方・・・ごめんなさい。
でもこんな事も考えているkumahachiでもあります。
※『戦争を知らない子供達』 作詞北山   修 作曲 杉田 二郎

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by fusyou-kumahachi | 2006-08-15 21:39 | ututu

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