<   2006年 06月 ( 25 )   > この月の画像一覧

clear      透明なココロ

Clear water 澄んだ水
Clear air 澄んだ空気

そんな中にわたし自身を置く事が出来たなら
わたしの中身も浄化され
すべてがclear になるだろうか

いま
わたしのココロの中は濁った水に満たされている
その水は体内をくまなく満たし
わたしの五感を狂わせている

わたしの眸は透明さをなくし
映す すべてを歪ませる

わたしの鼓膜もハリを失い
聞こえるコトバの意味を変えてしまう

わたしの目の前で誇らしげに咲く
花の香りは届く事がなく
甘い蜜の味さえワカラナイ
その代わりに
こぼれるコトバは毒を含む

貴方に触れた肌からも
伝わるはずのぬくもりさえ感じられずに
速い胸の鼓動だけが
ますますわたしを不安にさせる

わたしのココロを満たす水を濁らせているのは
深い悲しみ
猜疑心
聞きたくなかった たくさんのコトバ
受け入れたくない いくつかの事実と
それを無常にも突きつけてくる ututu

ココロを満たす濁った水は
もちろん思考も 濁らせる
歪んだ思考が導く答えに わたしのココロが救われるはずもなく
わたしはただヒトリ いつまでも
涙がかれるまで 泣き続けるしかない

そしてClear up

ココロの中の濁った水が
涙と共に流れ出て
そのかわり
澄んだ水で満たされるときが かならず来る

そのときわたしは 冴えた眸で すべてを見渡し
明晰な思考にささえられ
わたしを満たしたすべての悩みを
消してしまえるかもしれない

Clear

すべてのものが透明で
それでいてはっきりと明瞭な
ココロはきっと自由になれる

何者にもとらわれることのない
鮮やかなココロを取り戻すため
今のわたしに出来る事は
ただ 涙を流す事
わたしの中の濁った水を
これ以上澱ませないために




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by fusyou-kumahachi | 2006-06-29 03:40 | ututu

balance       均衡

Balance
常に意識して保つバランス
常に意識して崩すバランス

意識の外で保たれているバランス
意識の外で崩れゆくバランス

ヒトは常にバランスを保とうと努力をしている
心のバランス
体のバランス
生活の中でのバランス
社会とのバランス

バランスが保たれていれば何事もなく
もし崩れれば、
ココロを病み
体調を崩し
生活は破綻し
世の中からつまはじきにされてしまうこともある

自分の中での均衡と
外の世界との均衡までも常に考えながら
それでも危ういバランスを
意識しながら 意識の外で
とり続けて生きている
安定を求めて生きている

調和のとれた生命はとても穏やかなときを過ごす
ヒトも
社会も
自然さえも
そこには見事なバランスがあり ただ悠久のときが流れる
そこではすべてが安定しそこからは何も動かない

ヒトが二本の足で立ち 前へと歩みを進めるとき
常にバランスを崩しながら
前へ前へと転びつつ それが一歩となっている
立ち止まるときにはもちろんの事 きちんとバランスを取り 立っている。

ヒトは何かを変えるときには バランスを崩さなければならないことも知っている
たとえそれが本意ではなくとも ヒトが自らバランスを崩すとき
そこには大きな変化が生まれる

それは自然も オナジコト
それは社会も オナジコト

自然がバランスを崩すとき 生命は生き残るために進化を遂げて
そこに適応すべくバランスを整えた
社会が幾度となくバランスを崩してしまったときにも
ヒトはそれに翻弄されて 大きな犠牲を払いつつ
それでも次の世代につなげ 新たなバランスを構築した

自分の人生を変えたいと思ったとき
自分の人生を変えられてしまったとき
そこでは古いバランスは崩れ去り
新たな均衡を生み出そうとする

常に意識して保つバランス
常に意識して崩すバランス

意識の外で保たれているバランス
意識の外で崩れゆくバランス


それらは常にいくつもの均衡の中で
それぞれがバランスを保ちつつ
それが時には崩れ去り
さまざまな変化の混沌の中
新たな調和を生み出してゆく


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by fusyou-kumahachi | 2006-06-27 02:08 | ututu

birthday  誕生日

Birthday
貴方がこの世に生まれた日
Happy birthday
貴方と出会えた奇跡に感謝して

お誕生日 おめでとう

6月26日
今日は貴方の誕生日
一緒に祝えなくなってもう何年になったか忘れました
貴方の年を数える事もしなくなりました

わたしの手元に残っているのは
貴方からのいくつかの誕生日の贈り物
貴方に渡した贈り物より 残念ながら一つ少ない

そして
短かった日々だとは信じられないほどの
たくさんの 幸福

秋に生まれたわたしの誕生日を前にして
突然消えてしまった貴方

さよならもいえなかったそのあっけなさに
わたしはその日を忘れてしまいました

ただ 貴方にお別れを言った夜
帰り道で見上げた花火が

あまりにも綺麗で
あまりにも悲しくて

貴方の行く道を照らすようで
元気を出せと言われているようで
ただ呆然と見上げていたことを覚えています

偶然上がった花火かもしれない 
でも それはわたしにとっては奇跡

うつむいて泣いてばかりいないで
上を見上げてごらん
一瞬で消える花火は儚くても美しい
だから元気を出しなさい


貴方がわたしの顔を上げさせるために
いいえ
そこにいた悲しみにくれているすべてのヒトへのメッセージだと
わたしは信じて ここまで来ました

だからわたしがお別れの日を忘れても
貴方はそれで良いと笑っている事でしょう

あれから毎年花火が上がるけれど
そのたびに貴方を思い出すけれど
見上げた眸から涙はとうに消えています

それでもあなたを忘れる事はできません

だから毎年 
わたしのわずかな人生と あなたの儚い人生が 
刹那の刻にかさなって

貴方に出会えたというシアワセな奇跡に
貴方と過ごした幸福な日々に 感謝して
あなたの誕生日を祝います

Birthday
貴方がこの世に生まれた日
Happy birthday
貴方と出会えたシアワセに感謝して
貴方と出会えた偶然に感謝して
お誕生日 おめでとう

Happy birthday to you




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by fusyou-kumahachi | 2006-06-26 13:25 | ututu

apologize 謝罪  

「ごめんなさい」を素直にいえなくなって もうどれくらい経つだろう
幼い頃は 素直に言えたコトバ

ありがとう と ごめんなさい
日常の中に このコトバはあった

年齢を重ねていくうちに
素直なココロは 次第に奥へと追いやられ

だって
でも
そんなつもりじゃなかった という
自分をかばうコトバばかりが 次々とわたしを追い詰める

もっと素直になりたいのに
ごめんなさいと言いたいのに
涙ばかりが流れても
コトバはのどに詰まったまま

そんなわたしを わたし自身が嫌悪する

「すみませんでした」
「申し訳ありませんでした」
仕事や外でのトラブルのときは
考えるより先に 謝っているわたしがいる
相手が遠いヒトのとき なぜか素直に謝れる

大切なヒトに対した時こそ 素直に謝りたいはずなのに
なぜかココロは 頑なになる

ココロの中では 
こんなに後悔をしているのに
こんなに反省をしているのに
何で判ってくれないの
相手を責める気持ちさえ出てしまう

「ごめんなさい」

そんなわたしに貴方が言ってくれたコトバ
そのコトバがどんなに大切だったのか
わたしはそのときに気が付いた

「反省」はわたし自身を癒すためにすること
自分の過ちを認め
二度と繰り返さないと決めることで
わたし自身が癒される

「謝罪」は傷ついた貴方を癒す言葉
反省をしたり 後悔をしていることを
きちんとコトバに乗せて貴方に伝える事ができたら
貴方のココロも 少しでも軽くできるかもしれない

わたし自身が 貴方の「ごめんなさい」のヒトコトで
こんなにも癒されているのだから
貴方がわたしの悲しみを 判ってくれたと感じる事ができるのだから


きっとわたしもこれからは
「ごめんなさい」を言えるだろう
このコトバは誰のためにあるのかを
きちんと知る事ができたから
大切な貴方が癒されるなら 何もためらう必要はない





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by fusyou-kumahachi | 2006-06-26 01:35 | ututu

alone - ただひとりの 孤独

このセカイの中で ただヒトリ
このウチュウの中で ただヒトリ

alone - ただひとりの 孤独

たったヒトリで生きているわけではない
わたしの周りにはたくさんのヒトがいて
そのヒトタチと係わりながら生きている

わたしを助けてくれるヒト
わたしと働いてくれるヒト
わたしと共に歩むヒト
わたしを育ててくれたヒト

わたしと直接ではなくとも 係わってくれているヒトはそれこそ限りがない
たくさんのヒトに囲まれて たくさんのヒトのセカイに囲まれて
わたしはこうして暮らしている

それはとても幸福であり
なぜかそれはとても 孤独でもある

alone わたしはただ ヒトリ
alone わたしはただ 孤独

けれどもそれはlonelyではなく
わたしはそんなに寂しくはない
ただヒトリなだけ


わたしと共に歩むヒトがいる
そのヒトと 共にあってもわたしはヒトリ
わたしの歩む道は わたしだけのもの
かたく 手と手をつないでいても
わたしはいつもただヒトリ

共に歩くヒトを選ぶとき
わたしにあった さまざまな選択肢

わたしが持っている ココロのかけら
わたしが持つことのできない ココロのかけら

わたしと同じかけらを持つヒトは 
わたしのことをきっとわかってくれる
わたしを満たしてはくれないけれど
同じ痛みを分かち合い わたしの求めるものを理解する

わたしが持つことのできないかけらを持つヒトは 
わたしのココロを満たしてくれる
わたしが持たないかけらを持つヒトに
わたしの幸せを依存する
それはとても楽だけれど それでは本当に幸せになれない

わたしの選んだそのヒトは 同じかけらを持ったヒト
足りないかけらはそれぞれに ヒトリで探して見つけ出す

alone ただヒトリのわたし
alone ただヒトリの孤独

それは決して不幸ではなく わたしはヒトリで幸せを求める


alone ただヒトリのわたし
alone ただヒトリの孤独
alone ただヒトリの幸福




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by fusyou-kumahachi | 2006-06-24 00:02 | yume

貴方 あなた

わたしがここで「あなた」と呼びかけるとき
貴方は自分の事だと気が付いてくれるだろうか

わたしが「貴方」と呼びかけるのは 
今そこにいる「貴方」に向けて
たったヒトリの「貴方」に向けて

それは「貴方」に感じて欲しい
それを「貴方」に判って欲しい
大切な いとしい 「貴方」 に向けたコトバを
わたしは此処から伝えたい

そのためだけにわたしはコトバを 
丁寧に選び書き記す



決して此処には来れない「あなた」に伝えたいコトバもある
それはコトバではないかもしれない

あなたといた 時間
あなたと共にあった 空間
あなたとわたしとの間にあった すべてを 表すコトバは見つからない


わたしとあなたが共にあるとき そこに創られる空間には
数限りないコトバがあり コトバの要らない会話があった

コロコロと転がる話題のなかで あなたと交わした際限のないコトバ

いつまでも いつまでも 
あなたと交わすコトバは決して尽きることなく
永遠さえあるように感じていた

ただ黙っている時間でも わたしはあなたのすべてを知っていた
たくさんのヒトの中に在ってさえ 
見交わすだけで あなたのコトバはわたしに届く

本を閉じるタイミングも
席を立つときも

わたしが言葉をかけようと ふと目をあげるその先には
必ずわたしを見つめる眸があった
そこで交わされるのは オトのないコトバ

ココロから直接 伝えられるコトバ


オトのコトバは大気がないと あなたの元へは届かない
ココロから直接オクルコトバは 今でもあなたへ届くだろうか

ココロにあなたへのコトバがあふれ
とどめておく事が出来なくなる時
わたしはコトバを ソラへと とばす

今は此処にいないあなたに きっと届くことを信じて
いつかあなたに聞くことができる
そのときが来るまで 
くりかえし くりかえし 祈りをこめて


                            貴方へ・・・・・





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by fusyou-kumahachi | 2006-06-22 02:58 | ututu

閑話 かんわ idle talk

              いつでも・どこでも・だれとでも

 ここでいろいろなコトバを書き連ねて1月半が過ぎようとしています。
皆様が訪れてくださることを励みに何とか『あ』~『ん』までたどり着き、昨日のエントリーで『vanishing point-消失点』となりました。

 ひとつの区切りを迎えたことで、みなさまへのお礼を兼ねて、このブログを始める際に考えていたこと、今の心境を少しお話させていただきたいと思います。


 大抵の方がこのようなブログを始めるにあたって一番最初になさる、ある程度のプロフィールの公開をわたしは一切していません。みなさまにお知らせするほどのモノを何も持たないコトもあるのですが、そういうものを一切排除したところでただ、わたしの書くコトバだけを純粋に伝えたいという想いがありました。

わたしが多用する 「わたし」と「貴方」という言葉にしても、

18歳 男子高校生が伝える 「わたし」 と 「貴方」
21歳 女子大生が伝える 「わたし」 と 「貴方」
36歳 サラリーマンが伝える 「わたし」 と 「貴方」
48歳 専業主婦が伝える 「わたし」 と 「貴方」

それぞれ想像されるヒトがまったく違う様な気がします。
読んでくださる皆様に、それぞれの「わたし」と「貴方」を感じ取って頂きたかったので、あえて自己紹介をしていません。それでもみなさまの中にはある程度、お察しの方もいらっしゃるとは思います。それはみなさまにお任せいたします。

 また、あいうえお順のエントリーをした理由について。
言葉を大切にしたいという思いは以前から持っていました。想いをきちんとコトバに表すことで、自分の意思を確認して、今の現実「ututu」をしっかりと見つめようという作業をわたしは今までしてきました。書くことを通して自分自身の考え、気付かなかった想いを発見する事はわたしにとって、とても大切で楽しい時間です。

 そんな中、あふれる思いの中から少しでもみなさまと共有できたらという想いでこのブログを始めたのですが、ただ、毎日の流れの中からコトバを選ぶ事は、その時々の感情に流されてしまう様な気がしていました。それは自分自身から出るコトバには違いがありませんが、ある程度の制約をかけた中で、冷静に書き続けることを試してみたいと思いました。

 最初の頃は、今、読み返すことが恥ずかしくなるようなコトバの羅列をしていた事も、なかなか想いが出てこないコトバの時もありました。それでも書いているうちに色々な想いがそれぞれのコトバから出てきた事はわたしにとって新しい発見をさせてくれました。
 また、最初からこのコトバで書こうと決めていることはめったに無く、その日パソコンの前に座った時点からコトバ選びを始めていたので、あいうえお順とはいえ、その時々の気持の反映も、もちろんあります。『み』身近な悪意 ミヂカナアクイなどはその典型で、ある事件で思ったことをタイムリーに書くことができました。タイムリーではありましたが、そこに書いた『信頼』の意味は、以前から考えていたことでもあります。

 その他の制約としては、お気付きの方もいらっしゃると思いますが、今回は清音のみ、日本語のみでのエントリーにしました。最後のvanishing pointだけは英語でのエントリーにしました。
ここでとりあえず、「vanishing point-消失点」にその制約も収束させる意味を持たせたつもりです。

 最終回の予感を感じたコメントを残してくださった方もいらっしゃいますが、今までの制約をなくした状態で書きたいコトバは、まだまだ沢山あります。全くのフリーではなく、ある程度の制約を残しながら、これまでと同じスタイル、少し違ったコトバを書いていきたいと思っています。宜しければ、もうしばらくお付き合いをしていただけると幸いです。これまでのみなさまのご訪問に感謝し、お礼のコトバを申し上げます。本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

  最後に…このコメントしづらいであろうブログにコメントを残してくださったみなさまに心よりお礼を申し上げます。読んでいただいていると言う実感が、とても励みになります。これからもよろしくお願いいたします。

                                    By kumahachi




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by fusyou-kumahachi | 2006-06-21 09:24 | ututu

vanishing point  消失点

わたしの周りの風景が
わたしの周りの街並みが
空の雲が
海の波が

水平線の一点に集中する

建物も 空も ヒトも ヒカリさえ その一点へ収束する


vanishing point

そこは わたしの視線が収束する点
そして わたし自身が尽きる点

消点 消尽点 消失点
様々にヒトは呼ぶけれど
尽きる場所は ただ一点
 



その一点へ収束するからこそ 風景は立体感を持ち
街並みはわたしに近づくほどに 色鮮やかに辺りを彩る
包む空気は遠ざかるほどに 淡いベールで景色を包む
そのコントラストが美しく わたしの世界を確実にする

わたし自身のvanishing point
わたし自身が尽きる点

わたしは遠くにあるその一点を 
常に見つめてそこを目指す
その一点があるからこそ わたしのututuは 緊張する
その緊張感が わたしのすべても 確実にする


vanishing pointを 持たない世界
vanishing pointを 持たないわたし

もしもそれがなかったら 世界は収束する場所を失い
すべてが不確かな 幻となる
わたしも不確かな幻の中で
到達する点を見失い 行き先もなく ただ 漂い さまようだろう


vanishing point
すべてが失われ 消える点

そこを恐れず 見据える貴方は
そこからすべてが 始まることを知る

すべてが失われ消える点は すべての始まりの点でもある

そこからはじまるすべてのものは 無限の彼方へと拡がりつづける



それはわたしすら 透りぬけ
それぞれのvanishing pointへと向かう

ヒトがそれぞれに持つ vanishing point
それは常に貴方の目前にある

それを見つめて生きること
それはイノチを緊張させて生きること

それを知らずに 生きること
それは 夢幻 に 生きること



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by fusyou-kumahachi | 2006-06-20 01:32

『わ』 『を』 『ん』  和音 吾音 我音 

音は波

ひとつの波が心地よく ヒトのココロにたどり着くとき
そこにはやさしいメロディが流れる

波が繰り返し揺らぐそのとき
もうひとつの波がそっとかさなる

かさなった波が大きくうねり 
キレイに繰り返されるとき
ココロの中のメロディは よりいっそうやさしく響き
ヒトはそれを 歓びと聴く


ド・ミ・ソ
ド・ファ・ラ
幼い頃にピアノで弾いた和音

キレイにかさなるオトの波
ココロに流れるやさしいメロディは
かさなる和音で より美しく飾られて
わたしの歓びも かさなりふえる



わたしのココロの中にも オトがある
ココロの波が 奏でるオト

嬉しいときには ウレシイ波
哀しいときには カナシミの波
淋しいときには サビシイ波
怒りの時には ハゲシイ波

ココロに流れるオトの波
常に変化を繰り返す
わたしのココロの中のオト
わたしのオト 我音

貴方のココロのなかにも きっと
オトの波が打ち寄せる
それも常に変化する
貴方のオト 吾音


わたしのオトと 貴方のオトが 
キレイにかさなり 響きあうとき
わたしと貴方は 和音となって 
しあわせの調べを ココロに奏でる

わたしのオトと貴方のオトが 
キレイにかさなりあえないときは
波は 不協和音となり 
ココロに不快な調べを残す



吾音と我音がかさなって きれいな和音が響くこと
ヒトとヒトとが 奏であう
やさしく 美しく 響く メロディ

不協和音を 求めるヒトは
ココロにきっと哀しみを持つ
哀しみのオトもかさなることで
きれいな和音になるときもある

きれいな和音が 響きあい
それがututuに 満ちるとき
わたしはそこに yumeを見る

幸福という 確かな yume
和音が奏でる しあわせという 確かな 調べ



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by fusyou-kumahachi | 2006-06-19 04:24 | yume

『ろ』 隴を得て蜀を望む  ロウヲエテ ショクヲノゾム

一つの望みを達しても さらに大きな望みをいだく

ヒトのココロの 欲の深さは計り知れず
何かを手に入れても 満たされることは少ない

いまその手の中に 何も持たないヒトは
まずは右手を伸ばして何かを摑もうとする

右手に何かをつかんだのちに
左手が空いていることに気付く

左手にもつかめる何かを求めて
つぎの得物を追いかける

両手がそれでふさがってしまっても
目の前に欲しいものがあれば
両腕を使っても それを抱え込もうとする


欲望というものの奥深さ
欲望というものの罪深さ

欲望に支配されてしまえば ココロの安らぎを失い
辛い思いが重なってしまう
それでもヒトは 求めることを
辞めてしまうことをこそ 恐れる



満足というコトバを知れば
ヒトはどれだけ救われるだろう

満足というコトバを知っても
それを使う時を知らない
満足を知ってしまうと そこですべてが終わるかのように
コトバにしてしまうことを 意識的に避ける

確かにそれは 正しいけれど
確かに前には進めるけれど
いつまでその辛さに ヒトは耐えるのだろう
何かを両手に抱えるために
落としてきたものも あるはずなのに

ヒトが求めるのは モノだけでなく
ヒトのココロさえ手に入れたがる

わたしにしても つねに貴方の
ココロの奥まで手に入れたがる

貴方の何を手に入れれば
わたしは満足するのだろうか

手に入れたいと思うほど
かえってココロは辛くなり 離れていってしまうのに



『 隴を得て 蜀を望む 』

過去のヒトののこした過ちを 知っても人は繰り返す
幾度となく 際限もなく



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by fusyou-kumahachi | 2006-06-18 03:56 | ututu