2006年 08月 15日
sensou 戦争
戦争が終わって 僕等は生まれた
戦争を知らずに 僕等は育った ※
わたしは確かに第二次世界大戦を知らない
家にある祖父の写真は 海軍の兵隊さん
その写真を嫁入り道具に忍ばせてきた母でさえ 戦争を知らない
わたしは年老いた祖父を知っている
祖父を静かに見送ることさえ出来た
それは大切な シアワセの記憶
わたしは戦争が終わって生まれた
わたしは戦争を知らずに育った
それは第二次世界大戦に限ったこと
戦争はわたしが生まれてからも あちらこちらで起きている
きっとわたしが生まれたその日にも
世界のどこかで 争いで人が死んでいた
戦い争う事が戦争ならば
テロと戦争のどこが違うのだろう
争いで人が死に 悲しみが満ちる事に違いはない
そこで巻き込まれて亡くなったのは
わたしたちの 大切なヒトタチ
戦争が終わって生まれた
戦争を知らずに育った
そんなコトバで戦争を知らないと自分の事を語りたくない
知らない事はない
今目の前でも争いは起こっている
自分のこととして捉えていないだけ
昨日停戦が発効されたひとつの戦い
わたしには何の関係もない戦い
それでもすぐ近くにはUNDOFとして
たくさんの日本人が駐留している
彼らが戦いに巻き込まれなかったのはただの幸運
いつ戦禍が飛び火してもおかしくはなかった
彼らが死んだかもしれない
彼らがヒトを殺したかもしれない
其処にいるのは 貴方の大切なヒト
其処にいるのは わたしの大切なヒト
決して無関係ではない戦い
当事者ではないと 知らん振りをしている間に
大切なヒトを失ってしまうかもしれない
そのときになって気が付いても遅い
将来 戦争がはじまっても
わたしは戦いにゆくだろうか
わたしが年老いていても
大切な甥っ子は 駆り出されてしまうだろう
まだ見ぬわたしの子供さえ 取り上げられてしまうかもしれない
だからせめてわたしは知らなければならない
今 起こっている戦いを
そしてせめて学びたい
戦わないで暮らす すべを
何も出来ないかもしれない
何かが出来るかもしれない
知らなければ はじまらない
知らなければ わからない
今日聞いた蝉の声
オーシーツクツク オーシーツクツク
モウイイヨ モウイイヨ・・・・・・・
きっと戦いが終わった日にも同じように啼いていただろう
オーシーツクツク オーシーツクツク
モウイイヨ モウイイヨ・・・・・・・
同じ夏は 幾度となく繰り返される
それはわたしたちのシアワセ
同じ過ちだけは 繰り返さないよう
わたしたちの シアワセのために
↓哲学してるつもりはあまり無いのですが、”コトバを捕らえるために”クリックお願いします。
終戦の日によせて…
まだ、何も知らないでいるわたしが書いていいのかとかなり躊躇しました。実際にわたしは何も知らないから。
それでもやはり今日書いておきたいと思いました。今日の気持ちを忘れないために…
いつもと雰囲気が違うので困惑されている方・・・ごめんなさい。
でもこんな事も考えているkumahachiでもあります。
※『戦争を知らない子供達』 作詞北山 修 作曲 杉田 二郎
戦争を知らずに 僕等は育った ※
わたしは確かに第二次世界大戦を知らない
家にある祖父の写真は 海軍の兵隊さん
その写真を嫁入り道具に忍ばせてきた母でさえ 戦争を知らない
わたしは年老いた祖父を知っている
祖父を静かに見送ることさえ出来た
それは大切な シアワセの記憶
わたしは戦争が終わって生まれた
わたしは戦争を知らずに育った
それは第二次世界大戦に限ったこと
戦争はわたしが生まれてからも あちらこちらで起きている
きっとわたしが生まれたその日にも
世界のどこかで 争いで人が死んでいた
戦い争う事が戦争ならば
テロと戦争のどこが違うのだろう
争いで人が死に 悲しみが満ちる事に違いはない
そこで巻き込まれて亡くなったのは
わたしたちの 大切なヒトタチ
戦争が終わって生まれた
戦争を知らずに育った
そんなコトバで戦争を知らないと自分の事を語りたくない
知らない事はない
今目の前でも争いは起こっている
自分のこととして捉えていないだけ
昨日停戦が発効されたひとつの戦い
わたしには何の関係もない戦い
それでもすぐ近くにはUNDOFとして
たくさんの日本人が駐留している
彼らが戦いに巻き込まれなかったのはただの幸運
いつ戦禍が飛び火してもおかしくはなかった
彼らが死んだかもしれない
彼らがヒトを殺したかもしれない
其処にいるのは 貴方の大切なヒト
其処にいるのは わたしの大切なヒト
決して無関係ではない戦い
当事者ではないと 知らん振りをしている間に
大切なヒトを失ってしまうかもしれない
そのときになって気が付いても遅い
将来 戦争がはじまっても
わたしは戦いにゆくだろうか
わたしが年老いていても
大切な甥っ子は 駆り出されてしまうだろう
まだ見ぬわたしの子供さえ 取り上げられてしまうかもしれない
だからせめてわたしは知らなければならない
今 起こっている戦いを
そしてせめて学びたい
戦わないで暮らす すべを
何も出来ないかもしれない
何かが出来るかもしれない
知らなければ はじまらない
知らなければ わからない
今日聞いた蝉の声
オーシーツクツク オーシーツクツク
モウイイヨ モウイイヨ・・・・・・・
きっと戦いが終わった日にも同じように啼いていただろう
オーシーツクツク オーシーツクツク
モウイイヨ モウイイヨ・・・・・・・
同じ夏は 幾度となく繰り返される
それはわたしたちのシアワセ
同じ過ちだけは 繰り返さないよう
わたしたちの シアワセのために
↓哲学してるつもりはあまり無いのですが、”コトバを捕らえるために”クリックお願いします。
終戦の日によせて…
まだ、何も知らないでいるわたしが書いていいのかとかなり躊躇しました。実際にわたしは何も知らないから。
それでもやはり今日書いておきたいと思いました。今日の気持ちを忘れないために…
いつもと雰囲気が違うので困惑されている方・・・ごめんなさい。
でもこんな事も考えているkumahachiでもあります。
※『戦争を知らない子供達』 作詞北山 修 作曲 杉田 二郎
by fusyou-kumahachi | 2006-08-15 21:39 | ututu